ライブハウスと一口に称しても様々な形体が在る。
親会社があったりして業務の一環として貸ホール的に運営されているハコ。
カフェやレストランの不定期イベント的にライブを行う店。
そしてオーナーの気合い一発で儲かりもしない業務に人生を懸け、債務と闘いながら看板を上げている小屋。
いずれにしても我々リアル・プレイヤーにとっては聖地である。
子供の頃は「プロに成る!」と言っても具体的な最初の一歩は何処に進めば良いかなんてのは雲を掴むような話しでさっぱりイメージが涌かない。
HPを立ち上げデモを作り…なんて現在では定石的なことも、インターネットもパソコンも存在しなかった35年程前の駆け出しミュージシャンにはそれに代わる物も無く、スクランブル交差点の雑踏の中で世間に挑戦状を叩き付ける情熱のやり場を必死に探すしかなかった。
ある日高校の先輩達のバンドがバーボンハウスに出ると聞きつけ見に行ったとき「俺もあのステージに立ちたい!」が暗中模索のプロ志望バンドマンの最初の目標になった。
幸いにして大きな会館やホール、武道館やスタジアムでのコンサートも経験してきたが、やはりライブハウスは帰る場所であり聖地なのだ。
そんな儲かりもしない店(儲かるなら必ず企業が乗り出す。)を人口30万にも未たないような街で、金と思惑の飛び交う大都会で守り続けるオヤジ達が居る。彼等の動機はただひとつ、音楽が好き、バンドが好き、というだけである。
毎日ライブをやっている店で単純計算でも年間365アーティスト。10年続いた場合で3650組。対バンやイベント等の事を考えると更にその数は増える。そう、ライブハウスのオヤジ達は日本で一番音楽を知っている人達なのだ。どこそこレコードの製作第何部のなにがしですなんて肩書きがまるで意味を成さない程。オヤジ達は今日もどこかから流れて来たツアーバンドを、地元のアマチュアバンドの、趣味のオヤジバンドの世話をし、明日のブッキングをするのである。
私達が若造の頃、オヤジ達から説教を喰らった。入り時間から機材搬入からD.I.の抜き差まで、ミュージシャンとしての作法、アーティストとしての心構えまで。
「売れるバンドは楽屋を覗けば判る。人を引きつける奴等には必ず良いスタッフが付いてる。整然と片付いた楽屋使いの連中は5年後に武道館でやってる…。」
「16:00入りならまでに15:55に到着して時計の秒針を見て16:00ジャストにドアを開け大声でおはようございまーすと入って来い。そんな奴等は迎える側だって気合いが入る。毎年365バンド店にやって来る、365分の1から頭ひとつ抜け出る方法を考えろ。」
「オマエ等にはツアーの内の1本やけどお客さんには数ヶ月に1度の待ちに待った今日や。風邪引いたなんて誰も同情せん。終了後倒れたなら病院まで担いで行ったるけどステージで青い顔するな!」
等々…。
この国の音楽を支えているのはTV局や大手レコード会社なんかでは無く、街の小さなライブハウス、そのオーナーのオヤジ達であることは間違い無い。
今もってオヤジ達の説教は私の心に深く刻み込まれている。メジャーデビューを果たし中央のTV局へ出入りし、雑誌の取材を受け、メーカーのタイアップやエンドゥスを得て…。
しかし私はライブハウスに育ててもらった、ライブハウス出身のミュージシャンだ。
そんな私も今は若いオーナーより年上になり老舗オヤジの愚痴を聞く立場になった。「あそこのオヤジはうるさい。」と言って若いバンド達はライブ後説教やダメ出しする店を敬遠したり、新人P.A.見習いに「ぼやぼやするなっ」と激を飛ばすと翌日親から「職場でイジメに遭ってる。」と電話が入る…。
あーーーほーーぉーーーかーーーーぁぁーーーぁーーーーーーーーーおまえーーーーらぁぁぁぁーー。
箸にも棒にもかからんようなヘッポコバンドにわざわざ説教たれるような暇人はおらんのじゃっ! 数千のバンドを見て来たオヤジ達が、今はまだまだなオマエらに何かを見いだし、何かを感じて「甘えるな!」「前を見ろ!」と気合いを入れ進むべき方向を示唆してくれてるんじゃ!
金を出しても聞けないような這い上がるためのノウハウを鬱陶しいなどと言って逃げてるオマエ!
「あのオヤジぐちゃぐちゃ言いやがって」なんて言ってるオマエが夢も果たせず「俺も若い頃はバンドやってた…。」なんてのたまう冴えないオヤジに成るんじゃー。 あほっ。
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